とある動画を見ていたところ、表題のコメントをされていて衝撃だったので。
正確には「難しいからどのビットコインを買えば儲かるかの話して?」と書き込まれていた。見たときは自分の中の概念が破壊されるような、そんな印象を受けた。
一番最初、「WBTCの話か?」と考えたが、そんなことはない。なぜならビットコインとWBTCのどちらを買えば儲かるか検討するような人間はまず存在しないからである。そうであれば、この人が言いたいことは「どの暗号資産を買えば儲かるか教えて」ということと推察される。
つまり、「暗号資産」のことを「ビットコイン」と呼んでいると思われる。
通信量のことを「ギガ」と呼ぶのに近いのか?と思ったが、少しテイストが違うようにも思う。少し似たような対比があるか考えていたところ、かなり近いものがあった。「ゲーム」のことを「ファミコン」と呼んでいる状況、これこそが今回のコメントに近いのではなかろうか。
そこまで考えてさらなる疑問が湧いてくる。では「ゲーム」のことを「ファミコン」と呼ぶ状況は衝撃的か?と。
思い返せばそれほどインパクトはなかったように思う。ではなぜ「どのビットコインを買えば儲かる?」はインパクトがあったのか。それは、自分が勝手に想像する人物像にあると思う。
まず「ゲーム」のことを「ファミコン」と呼ぶのは、小学生くらいの子供を持つ親。そしてその親はゲームをしたことがないので(詳しくないため)テレビに映ったものを手元のコントローラーで操作することを「ファミコン」と一律で呼んでいる、といった想像をする。この場合、詳しくない人が対象を指し示す用語として「ファミコン」という使っているんだな、というある種妥協のような感覚で聞き流している。
対して「どのビットコインを買えば儲かる?」を発言しているのは暗号資産を購入する能力がある人であると想像する。そしてその暗号資産を購入する能力がある人は、暗号資産には種類があってそのうちの一つがビットコインであることは理解しているはずである、という前提で考えてしまう。結果、「まぁこの人は詳しくないだろうから……」というように聞き流すようなことがしづらくなり、「ん?」という疑問が生まれてくる。
つまり、発言内容と想像する人物像のギャップによって衝撃を受けたのだと考えられる。
例えば、中学生や高校生がプレステやスイッチを見ながら「どのファミコンが売れてる?」と聞いている状況に遭遇すれば、今回のような衝撃を受けていたと思う。
そういうこと。
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